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やしきたかじん復帰。番組で明かした「たかじん流」闘病生活


食道がんの治療の為に1年2ヵ月の闘病生活を送っていた「浪速の視聴率男」こと、やしきたかじん氏(63)が関西圏のテレビ番組に完全復帰しました。

3/21の「たかじん胸いっぱい」(関西テレビ)の収録から始まり、3/23に「たかじんNOマネーGOLD」(テレビ大阪)、3/24は「たかじんのそこまで言って委員会」(読売テレビ)に出演して拍手で迎えられ、それぞれの番組で自らの休養期間中の出来事を明かすなど元気な姿を視聴者に見せていました。




こちらは3/24にやしき氏が復帰した「たかじんのそこまで言って委員会」のダイジェスト版です。この日は特別に、「病み上がりにそこまでやらせて委員会 たかじん大復活祭 1年2カ月ぶりのキレ初めスペシャル」 と題され放送されました。

拍手と共にスタジオに登場したやしき氏は、まずレギュラー陣の金美齢(79)と桂ざこば(65)の2人とハグした後、司会の辛坊治郎と他のゲストに軽く挨拶をして、 「皆さん本当に、お待たせしました。」と第一声を発して一礼すると、再び大きな拍手が起こっていました。

人気者のやしき氏がこの様にテレビに復活する姿は、大阪のみならず関西じゅうの人々が待っていた瞬間ではないでしょうか。幾分痩せた自身の姿を、やしき氏は「モデル仕様」と言っています。


同番組では安倍総理や橋下徹大阪市長がVTRでやしき氏にエールを送っています。やしき氏の盟友として紹介された安倍総理は3年前に同番組でやしき氏と共演し温泉に入るなどした事があり、当時はやしき氏から健康を気遣われていましたが今度は逆の立場となっています。一方、橋下市長は以前同番組の出演者であった事から「元委員会メンバー」として紹介されています。橋下氏が政界進出の決断の前に背中を押したのは他ならぬやしき氏でした。

5分51秒の所で桂ざこばが、やしき氏が食道がんである事を知りながらさも知らなかった様なフリをして「えーっ?」とボケる場面がありますが、これは彼流の「粋なはからい」だったのでしょう。それがほのかな優しさをもたらしていました。

「お酒は飲めるんですか?」と金美齢から聞かれると、「もう飲んでます」とやしき氏はあっさり認め、タバコに関しては「良くないらしい」と否定しています。しかし、辛抱氏に控室で喫煙していた事を暴露されると、「あれタバコ違う。パイプ」と正して、肺に煙を入れなければ大丈夫という理由からタバコでなくパイプに替え、煙の香りを楽しんでいると説明しています。もっともらしい話ですが、これは単にやしき氏の時論ではないでしょうか..。

ハワイでの療養中に島田紳助(57)にばったり出会い、互いに「色々な意味で」大丈夫?と言い合った事を明かし笑いを取るなど、同番組に復帰したとたんに以前の調子でトークを進めるやしき氏は、「自分の体は甘やかしたらアカン」と、またも訳の分からない時論を展開し、勝手に栄養補給のパイプを外した事を正当化して笑いを取っていました。どうやら闘病生活中も全て強引に「たかじん流」で通していた様です。

昨年11月に亡くなった三宅久之氏(享年82)を偲ぶ場面では、やしき氏が涙ぐむ姿がみられました。11分29秒の所でスタジオに訪れた三宅氏の夫人の秀子さんを紹介して対面すると、やしき氏は口元に手をやり生前の三宅氏と最期のお別れができなかった事を悔やんでいました。その後、12分18秒~31秒までやしき氏は何も話すことができずスタジオ内が静まり返ります。この空白の時間の中に三宅氏に対するやしき氏の想いの全てが凝縮されていたのでしょう。

やしき氏がようやく口を開き、「いや、辞めようと思ったんですよ。お亡くなりになった時点で。決めてましたから。その三宅先生の..」と言うと再び言葉を詰まらせています。女性の声(秀子さんか?)で、「遺言ですね。この番組は絶対続けて欲しいというね。」とフォローされながら、「三宅先生の遺言ということで、戻ってまいりました」と改めて番組を続ける決意をしています。


【 やしき氏の発病から復帰までの道のり 】

やしき氏は同番組で闘病中のエピソードの数々を明かしていますが、なかには相変わらずの破天荒な行動もみられます。

一昨年の10月に体調に異変が起き、やしき氏は胸の痛みを訴えて診断を受けると持病の「狭心症」と診断されました。しかしその後も症状が治まることはなく、昨年の1/30に都内の病院で人間ドックに入って診断を受けた結果、食道がんである事が判明しました。その日の夜は焼肉を食べたそうです。翌1/31に休養を公に発表し、以降の仕事は全てキャンセルしました。

2月に都内の病院へ入院したやしき氏は、特別室に50インチテレビやAV機器を持ち込み、入院者氏名を「林一(はやし はじめ)」にしています。その理由は字画が少なく、病院でのサインが簡単だからだそうです。抗がん剤による治療を続け、4/9に3D内視鏡を使った切除手術を受けましたが、合併症のひとつである縫合不全である事が分かり再手術を余儀なくされています。

主治医はこの再手術が術後のヤマ場で、やしき氏にとって最大の危機であった事を語っています。しかし1ヵ月で奇跡的な回復をみせ、最初の外出で「フィレオフィッシュ」を買って食べられるようになり主治医を驚かせました。9月まで退院は無理と宣告されましたが、やしき氏はそれを無視して6月に早々と退院しています。

7月には北海道へ転居して療養生活を再開しました。手術前に70kg以上あった体重は、その時点でおよそ13~14kgは減っていたそうです。後に何と腸に直接付けた栄養補給の為のパイプを自分で抜いてしまったそうです!9月末には抗がん剤の副作用が起こり腸閉塞を起こして緊急入院していましたが、1泊2日で退院して札幌競馬場へ出かけるという行動を取っています。

11月に入るとハワイにある別荘に移動してカラオケを熱唱したり仲間らとワインを暴飲するなど、すっかりふだんの生活に戻っている様子だったそうです。 今年1月に体重が60kgに回復すると、やしき氏は仕事に復帰する決意をして、2月にハワイから帰国して発症1年後の検診を受けた結果が良好だった為に今回の復帰に至っています。


1年2ヵ月の休養期間がこんな様子で飲酒もパイプ煙草も始めているとは..。これが果たして闘病なのか何なのか理解できませんが、現在体調は回復しているという事です。合併症と腸閉塞さえ起こらなければ2度の手術も無く、もっと休養の期間は短くなっていた筈だとやしき氏は語っていました。


やしき氏の休養中には政権が変わるなど、大きな変化がありました。同番組に関しても存続の危機を迎える局面ばかりでした。レギュラー陣として激論に参加していた三宅氏が昨年亡くなり、何らかの発言が問題とされた為か勝谷誠彦氏がクビ同然の形で降板となった事が3/5に発表され、司会を務めた「副委員長」の辛坊治郎氏も昨年末の検診の結果、肺に影がみられるなど自らの十二指腸がんの転移の可能性を3/13に発表しています。やしき氏の復帰が4月の番組改編期をまたいでいたならば、同番組のみならず残り2つの冠番組も全て打ち切りとなる可能性もあったとされています。

復帰後のやしき氏は終始明るく、番組では2回の手術を受けて死も覚悟したであろう内面の辛さを見せることは決してありませんでしたが、三宅氏が亡くなった事に対する無念さだけは抑えることができなかった様です。それでも、ひとまずブランク期間を全く感じさせない普段通りのやしき氏の姿を見ることができて安心した人は多かった筈でしょう。

破天荒な休養期間中の行動にはかなり想定外のものがありましたが、自分はかねてからの念願であったやしきたかじん氏の完全復活を嬉しく思います。

今後もお体に気をつけて、多くのファン達や視聴者を活気づけて下さい!





 





   


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