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三國連太郎さん喪主不在で密葬。役者魂を継ぐ佐藤浩市の決意


4/14に急性呼吸不全のため帰らぬ人となった俳優の三國連太郎さん(本名・佐藤政雄 享年90)の葬儀が静岡県沼津市の自宅で4/16に行われました。喪主を務めるのは息子の佐藤浩市さん(52)でしたが、自身の出演するドラマの撮影の為に通夜の法要には出席せず、翌日の収録が休みである事から夜になって撮影現場から三國さんの自宅に駆けつけました。

喪主の佐藤さんが不在のまま異例の形で密葬は行われました。生前の三國さんの「戒名はいらない、散骨して誰にも知らせるな」という遺志を尊重した上で、今後の具体的な事については家族間で話し合うそうです。後日、映画会社の松竹と東映の協力の下で、「お別れの会」が開かれる事が決まりましたが、日時や場所などはまだ未定との事です。




こちらは4/15に行われた今夏放送される主演ドラマ、「怪物」(日本テレビ系)の制作発表記者会見の場で三國さんの他界についてコメントする佐藤さんの映像です。

葬儀を自宅で行った事も三國さんの遺志からで、幼少期に伊豆で暮らしていた為に三國さんにとって自宅のある沼津は故郷の様な場所でした。奇しくも沼津は出世作である1965年の映画、「飢餓海峡」(内田吐夢監督)が撮影されたロケ地でもあり、遺作となった2012年の映画、「わが母の記」(原田眞人監督)の撮影も行われている事から、非常に縁の深い場所だったと言えます。

駿河湾を見下ろす高台にある三國さんの自宅は同市出身の友子夫人(63)の父親から譲り受けたもので、10年ほど前から避暑の際の別荘として使用していました。最近では都内の自宅とを行き来する生活をしており、佐藤さんも何度か訪れています。三國さんは入院生活に入る前に、日々を過ごし深い思い入れがあったこの自宅での密葬を希望していたそうです。


三國さんの遺体は晩年を過ごした部屋に安置され、白い花に囲まれていました。密葬は親族の他に、三國さんが出演した一昨年の映画、「大鹿村騒動記」の阪本順治監督(54)と同映画で三國さんの娘役を演じた女優・大楠道代(67)、映画「釣りバカ日誌」で共演した浅田美代子(57)らのごく親しい人だけが約30人参列して静かに営まれました。一時代を築いた俳優の葬儀としては意外なほど少ない参列者だったと言えますが、友子夫人と佐藤さんの妻・亜矢子さんは参列者らに丁寧に対応するなど気丈に振る舞っていたそうです。

三國さんの自宅には朝から吉永小百合(68)や浅田美代子(57)、真田広之(52)、美輪明宏(77)、松坂慶子(60)、藤井フミヤ(50)、佐藤オリエ(70)らの贈った供花が届いていました。三國さんが突然亡くなった為に、三國さんの昔の写真が遺影として飾られていました。三國さんが優しい笑顔で微笑むその写真は、自宅に保管していた昔のものだったそうです。

弔問客は皆、報道陣の取材に対応せず、三國さんの遺体に寄り添って涙を流しながら別れを告げていました。三国さんの遺志に沿って密葬の詳しい様子などは公表されていませんが、阪本監督は沈痛な面持ちで、関係者を通じて「うまく話せそうにない。ごめんなさい。」とコメントしており、ショックの大きさをうかがわせています。


テレビ東京では、4/23に亡き三國さん偲んで佐藤さんとの親子共演が話題になった1996年の映画「美味しんぼ」(森崎東監督)を、同局の「午後のロードショー」(関東ローカル : 午後1:25~3:25分)で放送することが決まりました。

法要に間に合わず普段着のまま参列者が帰った午後8時頃に撮影現場から駆け付けた佐藤さんは、直前まで都内近郊で行われたドラマのロケに参加していました。「撮影を休むことは故人の遺志に沿うとは思えなかったので、撮影に参加させて頂きました。」と佐藤さんは名優・三國連太郎さんの息子らしく俳優としての仕事を優先していた事を明かし、憔悴しきった表情ながら亡き父に畏敬の念を抱き、その遺志を継いで同じ道を歩む覚悟をしていた様でした。

告別式の出棺の際に佐藤さんは友子夫人や妻子達と並んで、「本日、三国連太郎、佐藤政雄、両名の葬儀・告別式を無事に執り行うことができました。ありがとうございました。」と、喪主として三國さんの芸名と本名を挙げて挨拶をしており、「彼はきっとあっちの世界でも、映画を撮り続けると思います。」と涙をこらえながら話していました。


三國さんは群馬県太田市で生まれ静岡県伊豆市で育ちました。東京・東銀座でスカウトされ1951年に松竹の主演映画「善魔」(木下恵介監督)で三國連太郎役としてデビューし、その役名をそのまま62年間自身の芸名としてきました。身長181cmと長身で、かなりの美男子であった事から人気を博しました。

1957年の映画「異母兄弟」(家城巳代治監督)に出演する際に老人の役を与えられた事から、役作りの為に前歯を全て抜いてしまう程のひたむきな役者魂をみせ、名優にして怪優と呼ばれる唯一無二の強烈な存在感で日本映画界をリードしてきました。

これまでに出演した映画は200作にも及び、近年では1988年~2009年まで続いた映画「釣りバカ日誌シリーズ」が代表作として広く世の中に知られています。同映画の中で演じた鈴木一之助(スーさん)役で三國さんの存在を知った人も多いのではないでしょうか。他にも多くのテレビドラマに出演しています。




こちらは1960年に三國さんが出演した国鉄の機関士の一家の物語を描いた映画、「大いなる旅路」(関川秀雄監督)の映像です。初めの方で学生服を着ている様に見える三國さんの姿ですが、それが鉄道員の服装であることが分かります。4分10秒の所からの蒸気機関車の脱線シーンは現代の様にCGに頼ることなく当然実写で行われています。

テレビの普及率も低く、電話のある家さえ少なかったこの当時の時代に、映画がどれだけ人々に感動を与えてきたかを認識させられます。三國さんは幅広くどんな役でもこなせる役者だったと改めて思いました。


役者として華やかな道を歩みつつも、三國さんは私生活では3度の離婚と4度の結婚を繰り返してきました。3度目の結婚相手との間に生まれた佐藤さんは、家庭を顧みず自分の元を去っていった父に対して一時は憎しみを抱いたこともあったそうです。そんななか、佐藤さんが19歳の時に選んだ道は父と同じ俳優という職業でしたが、その意志を息子から伝えられた三國さんの口から出たのは、「だったら、親子の縁を切りましょう。」という意外な言葉でした。

誰もが耳を疑う様な余りにも厳しいその一言の裏には、息子を愛するが故の並々ならぬ決意が込められていました。三國さんは74歳の頃にテレビ番組でその当時の事を、「その瞬間から僕は「他人」だと、そういう風に思ってくれないかと。何も助言というか、助け舟は出せないんですよね、役者同士というのは。僕の感覚と体験の中から作られたものと彼がこれから作っていくだろうものとは全く違う世界のものだと思うんです。赤の他人だと思って、役者同士という関わり合いで生きていくのが一番いいだろうという思いでそう言ったんですけどね。」と明かしています。2人の父と子の関係は、この様に世間一般の親子とはかけ離れたものでした。

「俳優道」は自分で探し求めるしかない。例え息子であれ教えることはできない。それは自分と同じ道を歩もうとする我が子に、どうか成功をつかんで欲しいという親心であり、三國さん流の息子に送るエールだったのでしょう。佐藤さんは三國さんの亡くなった4/14に上記のドラマの制作発表記者会見の場で、記者から「どんなお父さんでしたか?」と聞かれると、苦笑しながら、「ひどいよ、そりゃ…。」と答え、「僕は父親として世間一般で言う、一般論としての親子ということで会話はできないです。ただ、僕と彼との間にあったのは 「役者」という言葉だけなんで…。」と語っていた事がまさにそれを物語っています。

2人の間にあったのは「役者」という言葉、ただそれだけでした。そんな親子関係だった2人の間には何度も確執が報じられてきましたが、亡き父との最後の別れに佐藤さんの胸に残るものとは何だったのでしょう…。


告別式の日に佐藤さんは、「三國はもう一度現場に立ちたいと、どれだけ思っていたことだろう。そう思うと自分はこれから、たぶん数千回現場に立つことになると思います。そのうちの何回かでいい。おまえ今日のこと思い出してみろ。そしたら雑な芝居も不遜な芝居もできないでしょう。そう三國が言っているような気がします。最後にまた三國連太郎に教えられた思いがします。」と語っている事から、きっと三國さんの遺志を継いで立派な役者としての生涯を送ることになるだろうと思います。

三國さんは亡くなる2日前に、「港に行かなくちゃ。船が出てしまう。」と不意につぶやいていたそうです。 もうろうとした意識の中で、尚も撮影の場で役者として演技することを夢見ていたのでしょうか。

あれ程までの野性味と男気を感じさせる役者は、三國連太郎さんが最後なのかも知れません。
心よりご冥福をお祈りします。










   


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