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吉幾三さん、不整脈で緊急入院し手術成功。直ちに復帰との事


2/25に演歌歌手の吉幾三さん(60)が心臓手術を受け、無事に成功した事が分かりました。

所属事務所によると吉さんは今年に入ってから体の疲れがたまるなどの症状が続いており、最近になると腕を肩まで上げると背中が痛いと訴えていました。不調を感じながらも仕事を続けていましたが、2/20に病院で健康診断を行い検査を受けると、心臓の具合が芳しくないと言われ不整脈の疑いから早期に治療する必要があると診断されました。早急な手術を決断した吉さんは、2/23から都内の病院に入院し2/25に手術を受けることが決まりました。

手術そのものは30分程度で終わる簡単なものだったそうで、術後経過は順調という事ですが、数日間の療養後3/1にはBSジャパンの生番組、「NIKKEI×BS LIVE 7PM」から仕事に復帰する予定で、吉さんはその番組に出演する意向を示しているそうです。引き続き3/3に岐阜で行われるイベントにも出演する予定があります。2/27に東京・亀有リリオホールで出演を予定していた「東京演歌ライブかつしか vol.95」は、6/26に延期されることになりました。

所属事務所は吉さんが主治医に相談し早期治療を受けた事と、現在は回復に向かいしばらく静養する事をコメントしていますが、吉さん自身は「なるべく早くまた歌えるようになり、ご迷惑をかけます仕事関係方々にはきちんとお返しをしていきますので、今後ともよろしくお願い申し上げます。 病室より、愛を込めて。」というメッセージを発表しています。


吉さんは、山岡英二の芸名で1973年にデビューしました。これまで「俺ら東京さ行ぐだ」、「雪國」、「酒よ」、などのヒット曲を出しており、デビュー40周年を迎えた昨年の12/26には新たに発足した米国サンフラ ンシスコの後援会、「サンフランシスコ幾三会」の発足会に出席する為現地を訪れ、「日本の演歌を世界に伝えて世界中の人の架け橋となりたい。」と意気込んで、自らの歌への情熱や意欲を語っていました。

吉さんは30代から大病を患い、その度に克服してきています。30歳の時の1983年には、腸のポリープが破れて出血し、潰瘍性大腸炎で入院しました。1990年には結腸憩室炎と慢性肝炎を患った他、1994年には肺に水がたまって肺炎になり、レントゲン検査の結果、肺に影があったため「がんの疑いがある」事を宣告されました。
その時は自ら死を覚悟した事を退院後の会見の席で明かしていました。また、1999年には椎間板ヘルニアで入院しており、今回は心臓疾患による不整脈と診断されています。

昨年12/30には激しい下血を起こしており、翌日の紅白歌合戦には点滴を受けながら出場して、番組終了後には直ちに入院したという経緯もあります。こうして何度か大病を患いながらも、その都度克服してきたという事ですが、酒好きで愛煙家という吉さんの生活習慣が病の原因となっていた可能性は充分にあると思われます。

紅白の時以来、最近の吉さんは酒やタバコの量を減らして体調管理を行ってきました。そんな中で見つかった今回の心臓疾患ですが、正式な病名は明かされていないもようです。

今回の吉さんの手術は、演歌界を盛り上げるために、若手・中堅の牽引役になろうと、今年を心機一転の年としていた矢先のこと。同じく心臓手術をした武田鉄矢、不整脈により休養中だった高田文夫らが吉さんにエールを送っています。




「まさに伝説級のおもしろさ。」という触れ込みのこちらの映像は、水道橋博士が吉幾三さんと対談している「水道橋博士の80年代伝説」という番組です。懐かしそうに思い出ばなしを語る吉さんは本当に憎めないタイプの人間です。同席しているのは掟ポルシェと吉田豪でしょうか。なかなかの面子です。

吉さんの話にはアタックの強い笑いこそ無いものの、聞きこむとジンワリとくる逸話がここでは多く語られています。特に21分9秒からの、名曲「酒よ」の誕生に関わる男性との出会いの話が現実的で、その後に続く「豪遊伝説」で吉さんの酒浸りの実生活があらわになると、「この人、しょーがねぇな..。」という感覚に誰しもなるのではないでしょうか。最後にラッパー気取りのトークを多少噛みながらしている吉さんはまだまだ健在です。今回、吉さんが心臓手術に至ったのも、全て自業自得である事が分かりますが、生涯酒とタバコは止められないのでしょう。




こちらは全盛期の吉さん。1985年の3/21に放送された「ザ・ベストテン」での懐かしの映像です。若い方はこの時代をリアルタイムでは知らないと思います。上記の、吉さん自らがラッパーであるという発言も、当時はまだラップ・ミュージックが日本に伝来していなかった頃にこの曲が発表されたからです。だいぶ時代を経てから「テレビも無ぇ、ラジオも無ぇ、クルマもそれ程走って無ぇ..」の口調が日本でのラップの先駆的な試みだったと指摘されて、それが伝説的に語られると全く後付けなのに調子こいた吉さんは自称「日本初のラッパー」を豪語し始めました。

興味深い関連記事はこちらです。 
→ 【音楽】吉幾三のラップがすご過ぎる!
→ 【ラッパーIKUZO知ってる?】

この関連記事のリンク先に書かれている様に、YouTube上での吉さんはIKZOの名で別の顔を持っています。マッシュアップと言われる手法のRemixによって数々の他のミュージシャンとの奇跡的なコラボを実現しているアマチュアが登場したのは2008年の事です。YouTubeで「IKZO」のキーワードで検索すれば更に秀逸な作品の数々を発見できることでしょう。以来の盛り上がりは一定の話題性を保ち続けている様子です。


今回の件を機に久々に自分も「俺ら東京さ行ぐだ」の魅力を再発見してしまいましたが、強烈なインパクトと懐かしさとがグッと込み上げてきます。吉さんには時代を超えたセンスがあった事に若い世代が気づき、それに敏感に反応しているのが驚きでした。きっと昔から吉さんは侮れない存在だったのでしょう。

不整脈にも危険なものと大事に至らないものとがあるそうですが今回はちょっと危なかったです。
でも無事手術が終わって本当に良かった。どうか復帰後もお体を大切になさって下さい!











   


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