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坂口良子さん急死。腸閉塞を患い、インフルエンザから肺炎に


女優の坂口良子さんが3/27に都内の病院で亡くなっていた事が分かりました。故人の遺志により通夜と告別式は近親者のみで執り行われたそうです。享年57歳だった坂口さんは、15年間に渡り事実婚状態を続けてきたプロゴルファーの尾崎健夫さん(59)と昨年8月に結婚したばかりで、わずか7ヵ月半の結婚生活でした。葬儀と告別式の日取りや喪主はまだ未定との事です。

坂口さんは2011年の夏頃から結腸がん(横行結腸がん)の治療の為に通院治療していました。その後は腸閉塞を患って体重が10kg以上減り、やせ細っていました。更にインフルエンザにかかって肺炎を併発し体調を崩して先月末から入院していましたが、容態が急変して3/27の未明に夫と長男長女に看取られながら帰らぬ人となりました。

今月12日の坂口さん自身のブログには女性週刊誌で消化器系疾患による重病説が報じられた事を受け、体調を崩して療養している事や復帰に向けた前向きな思いが綴られています。それが坂口さんの最後のメッセージでした。

夫の尾崎さんと長女の坂口杏里さん(22)は所属事務所を通じてマスコミ宛てに連名のFAXを送付し、「この度、坂口良子はかねてより病気療養中(横行結腸がんならびに肺炎)でしたが、平成25年3月27日午前3時40分、永眠いたしました。ここに生前のご厚誼を深謝し、謹んでご通知申し上げます。これから家族全員、力をあわせて、皆様のご厚情を賜りながら頑張って参ります。」と坂口さんの訃報を報告しています。

杏里さんがタレントデビューしてから、最近では坂口さんも6年ぶりにバラエティ番組に出演するなど、親子でテレビに出ている姿をよく見かけましたが、突然の坂口さんの訃報には誰もが驚いたのではないでしょうか。何だかとても残念です。坂口さんが最後に出演したテレビ番組は「雨上がり食楽部」(関西ローカル)で、関西テレビは追悼の意を込めて4/7の午前6時30分から再放送すると発表しています。


この突然の訃報を受けた芸能界からは、多くの悲しみの声が届いています。ドラマで夫婦役を演じた中村雅俊(62)は、「急な話で大変驚いております。共演したのはお互い若い頃だったので、現場ではいつも大騒ぎして..。元気でステキな笑顔の思い出ばかりです。年齢も若く、とてもショックが大きいです。」と語り、坂口さん親子と番組で度々共演していた朝丘雪路(77)は、「テレビ番組でご一緒した時に、いつも「娘、杏里のことをよろしくお願いします。」とおっしゃっていたので、お亡くなりになられた坂口良子さんや娘さんのお気持ちを思うと悲しくてなりません。」と語っていました。

坂口さんの生前に40年来の親交のあった歌手のあべ静江は、3/29のミヤネ屋(日本テレビ系)で電話インタビューを受け、「強さをしっかり持った人という印象が強いです。同じマンションに住んだ事もありました。明るい人ですが芯の強さをとても感じました。あまり自分の事を語らず、何かを決意していると感じさせる人ですね。けさ訃報を聞いて、びっくりしました。」と語っています。自身のブログには追悼の意味から、「あの時の写真が見つかったよ!良子 ちゃん…」と題して坂口さんと初めて会った日のモノクロ写真を公開しています。時は1971年頃、あべが20歳で坂口さんが16歳という若さです。あ~泣けてくる..。 → あべ静江オフィシャルブログ「みずいろの手紙」

最後のテレビドラマ出演作となった昨年9月の、「渡る世間は鬼ばかり」(TBS系)のプロデューサー・石井ふく子(86)は、3/28に夫の尾崎さんに電話したところ訃報を告げられ、坂口さんの棺には「渡る世間は鬼ばかり」の台本を入れたという報告を受けたそうです。石井は、「もったいない。人生これからだったのに残念。さっぱりとした性格の方で、とても仕事熱心。どんな役どころを演じても、魅力的に見せることができる女優だった。」と坂口さんの若すぎる死を悼み、「本当にすてきな人でした。」と残念でならない様子だったそうです。

同じく橋田壽賀子(87)の1980年のドラマ、「橋田ドラマ 見合い結婚」(TBS系)で坂口さんと共演した春風亭小朝(58)も自身のブログで、「あの時の微笑み」と題して坂口さんを悼んでいます。「思わず「エッ!」と声を出してしまいました。(中略)僕にとっては良い思い出しかないので、とても残念です。」と綴っています。  → 春風亭小朝オフィシャルブログ

また、ドラマ「天まであがれ!2」(日本テレビ系)で共演した坂上忍(45)は、「子役時代に何度となく共演させて頂き、良子さんが現場に入ると一瞬で明るい雰囲気に包まれた事を覚えています。やんちゃをして叱られた事もありましたが、叱る時もスパッと実にあっさりされていて、後に引くことのない注意の仕方は今更ながら良子さんならではだったなぁ…と。娘さんが芸能界デビューされて何度かご一緒させて頂き、改めて良子さんと連絡先を交換し、「今度ごはん一緒に行こうね。」という約束が果たせなかった事が残念でなりません。今度、杏里ちゃんが嫌でなかったら、ごはんに連れて行きます。良子さんに沢山の事を教えて頂いたぶん、杏里ちゃんづてにお返ししておきます。本当に有難うございました。」と、坂口さんに対する感謝の気持ちと恩返しの約束をコメントしています。


この他にも生前の坂口さんとゆかりのあった松方弘樹、加山雄三、清水アキラ、杉本彩らの多くの芸能人が悲しみのコメントを寄せていますが、なかでも特に1980年に始まったドラマシリーズ、「池中玄太80キロ」(日本テレビ系)で坂口さんと夫婦役で共演した西田敏行(65)は、突然の事にショックを隠せない様子でした。西田は、「早過ぎるよアッコ」と、ドラマでの坂口さんの役名を呼んで始まる以下のコメントを発表して偲むと共に、感謝の気持ちを述べています。

早過ぎるよアッコ、これから沢山楽しい事が待ってるのによ~
池中玄太はこう言って天を仰いで号泣しています。
坂口良子さん早過ぎます、順番が違います、西田敏行はこう言って悔しさに唇を噛んでいます。
ただ、今は現実を受け止めようと必死にもがいています。
言えるのは、玄太を愛したアッコをあんなにステキに演じてくれてありがとうございました。
おかげで玄太を日々楽しく生きる事が出来ました。
ホントにホントありがとうございました。

合掌





こちらは1975年の人気ドラマ、「前略おふくろ様」(日本テレビ系)の映像です。萩原健一(62)の恋人役でその存在を全国的に知らしめる事になった坂口さんの出世作と言えるでしょう。舞台は東京の下町・深川の料亭、分田上(わけたがみ)。萩原扮する修業中の板前の「片島三郎(通称サブ)」と、坂口さん扮する仲居の「渡辺かすみ」の恋愛の物語です。かすみちゃん、というか当時の坂口さんは可愛かったですね~。




彼女の愛くるしい顔立ちと明るいキャラクターにとりこになった世の男性は多かったことでしょう。(自分もそうですが…) 1975年といえば、PCもネットもTVゲームもカラオケも携帯も、全く何も無い時代でした。このドラマで繰り広げられる2人の恋のゆくえに日本中が釘付けとなった事は言うまでもありません。まったりとした緩い時間の流れの中で萩原の演じる「奥手」な人物像がほのかに笑え、「草食系」とは言えない妙味を出しています。




次第に大胆になっていくかすみちゃんと、それに戸惑うクソ真面目なサブとのギャップ感がこのドラマの醍醐味でした。そこに川谷拓三(享年54)扮する鳶職の利夫が2人の仲を妬みサブに出会う度に喧嘩腰で絡んでくるという緊迫感が加わります。深川一帯の鳶たちを仕切る頭領の娘という「渡辺かすみ」の役柄の気の強さ、強引さを見事に演じ切りながら、無垢で可愛い女性らしさも表現している坂口さんは何と当時まだ20歳でした。

16歳でドラマの世界にデビューして4年目でこの演技力、この完成度です。坂口さんは既に20歳で黄金時代を迎えていた訳ですから感服します。脚本を書いた倉本聰と坂口さんとの素晴らしいケミストリー(化学反応)だったとしか思えません。「渡辺かすみ」を演じた事で、坂口さんは女優として大きく成長したと言えるでしょう。このドラマは放送開始の翌年の1976年にゴールデンアロー賞、毎日芸術賞、 芸術選奨文部大臣賞を受賞しています。

その後のドラマも全て与えられた役柄をきちんと演じ切っているのが坂口さんの凄いところです。「池中玄太80キロ」の当時でさえまだ25歳でしたが、もう既にベテランの域に達していました。演技に入り込んだ時の安定感といったら並じゃなく、まさに偉大な女優でした。 以下に坂口さんの主な経歴をまとめます。


【 坂口良子さんの主な経歴 】

●1955年 10/23生まれ。北海道余市郡余市出身
●1971年 15歳でミス・セブンティーンコンテストで優勝し、芸能界へ。
●1972年 ドラマ「アイちゃんが行く!」(フジテレビ系)に出演し、会田愛子役で主演デビュー
●1975年 ドラマ「前略おふくろ様」(日本テレビ系)に出演し、渡辺かすみ役が人気に
●1976年 映画「犬神家の一族」(市川崑監督)に出演
●1980年 ドラマ「池中玄太80キロ」(日本テレビ系)に出演。鳴山暁子(通称アッコ)役
●1980年 火曜サスペンス劇場(日本テレビ系)に出演 ~2003年まで
●1986年 19歳年上の不動産会社社長と結婚
●1986年 舞台「サウンド・オブ・ミュージック」(日生劇場)にマリア役で主演
●1989年 長男誕生
●1991年 長女・杏里さん誕生
●1993年 映画「帰って来た木枯し紋次郎」(市川崑監督)に出演(最後の映画出演)
●1994年 結婚生活7年半で離婚。知らぬ間に保証人にされ40億円以上の借金を背負う
●1999年 プロゴルファーの尾崎健夫選手と熱愛報道
●2008年 長女・杏里さんが芸能界デビュー
●2011年 尾崎健夫さんとの結婚を発表。消化器系に重い病気がみつかる
●2012年 9/24に「渡る世間は鬼ばかり ただいま!!2週連続スペシャル」(TBS系)に出演(遺作)
●2012年 12/22に料理番組「雨上がり食楽部」(関西テレビ)に杏里さんと最後のテレビ出演

また、歌手としての坂口さんの歌声を聴くことができるCDは、「サヨナラの下書」と、「まるで少年のように」の2枚が現在入手可能です。




こちらは坂口さんが出演した1982年のドラマ「田中丸家御一同様」(日テレ系)の主題歌(エンディングテーマ)を自ら唄った、「まるで少年のように」の映像です。ワルツ調の結構いい曲で、歌もお上手でした。この曲を聴きながら1982年に自分は何をしていただろうか…などと考えているうちにまたもグッ悲しみが込み上げてきます。もう1つの「サヨナラの下書」に関しては映像が見つかりませんでした。


バブル崩壊後に前夫の事業の失敗から40億円もの借金を背負って離婚し、15年来の交際を続けてきた尾崎さんも協力して必死に完済し終えた坂口さん。2人の子供を女手ひとつで厳しく育て上げた坂口さん。自身の辛さを決して表には出さず、仕事に私生活の事を持ち出さなかった坂口さん。その1つひとつが立派で、並の努力ではできなかった事だと思います。

芸能界にデビューした杏里さんの知名度も上がり、尾崎さんとの結婚を杏里さんからも祝福されていた坂口さん。(杏里さんが尾崎さんをパパと呼べるまで時間がかかったそうですが)  最期まで病と闘い、再び復帰する事を目指していた坂口さん。何もかもこれからだったのに、こんな事になるなんて..。坂口さん自身もご家族も、さぞ無念だったろうと思います。


芸能の世界の人が生涯を通じてこの世に残せる事とは何でしょう?それは、苦しみや悲しみを抱えながらも懸命に生きている多くの人達に夢を与え、喜ばせ、励みや癒しをもたらすという事なのでしょう。しかし、坂口さんのプライベートの人生は我々の想像を遥かに超えた悲しみや苦しみの連続だったに違いありません。それでも女優としての彼女は我々に夢を与えてくれたのです。何と尊く、何と有難い事でしょう。

自身の内面の苦しみを女優の仕事では決して表に出さなかった坂口さんの生き様から我々が学ぶべき事はとても多いのではないでしょうか。坂口さんの出演したドラマの映像を幾つか見ていたら、懐かしさと共にふとそんな気がしました。病と闘いながら57年の生涯を生き抜いた坂口さんには感謝の気持ちで一杯です。

坂口良子さんのご冥福をお祈りします。











   


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